このセーターはね、40年も昔のものだけど虫食いのひとつもないのよ
自転車を押しながら商店街を歩いていましたら
いつも目の端にかすめ見ていたお茶葉屋さんの様子が違いました。
看板も、商品のお茶葉もなくてがらんとしてる。
今の冷え込む季節は少々着ぶくれたおばあさんが店先に座っていて、
壁一面には並んでいるだけで味わい深い木製の茶箱。時代と共につやが生まれて、飴色がかっています。
昔ながらの店構えを守っているこのお店に、一度も足を止めたことはありませんでした。
あの様子だと、お店閉めちゃうってことだよなあ
おし、いっちょ勇気を出して話しかけてみよう。と立ち寄りました
よこしまな本音を申し上げますと、その美しい茶箱の行く末が気になったからです。うわーあの箱欲しいなあって・・・
美しい箱ってつい、欲しくなる。あるに越したことはないと思っている。
中に入れるもんないけど。
狭い家の貴重なスペースだというのに、中身待ちの箱がちらほらスタンバイしてます。
.......
さて私の想像を上回るほどの怪訝な顔をされながら会話はスタートしましたが、この土地に移り住んでからの話を聞かせてもらうことができました。
80年この場所から町を見ていること。
駅前は原っぱで、羊がいたこと。
あたりは沼地でなにもなかったこと。
今となっては駅近くの一等地に住むおばあさん
私と話している間にも
「こんにちは~」と会釈して通り過ぎる人がいたり
「お茶ないの?」「今はないのよ」「そう、じゃあね」
なんてこたないやりとり
私がじんときているのは、続いてきたお店の積み重ねてきた時間のせいなのかしら
大先輩であるおばあさん同士ってところかな
懐かしくて、いいなあーと思うのはなんででしょう
「お着物や、こんなセーターなんかは茶箱にいれておくのよ。
ほら、40年も昔のものだけど虫食いのひとつもないのよ。」
と着ているセーターの袖を引っ張って私にみせながら話してくださいました。
映画撮影場所にもなったそうです。
貴重なお話ありがとうございました。
肝心の茶箱はおひとつ二千円とのこと
中に入れるものが決まったら、また尋ねよう。
最後のパン
スーパーマーケットで賞味期限も間近で安売りされているような、パン。
それも、味のないものが向いています。
家の台所のテーブルの隅にあったりするような
パサついてどうしようもない食パンや、みるくパンなんかを
これは、
世界最後のパンなんだ
と 噛みしめてゆっくり食べると、別物のようにおいしく感じるんですよね。
心細い旅先で人の気配のない辺り田んぼばかりのバス亭の、ベンチで開く包みの中のパンだったり
たった一人の無人島で
残された唯一の食料であるパンと向き合った時の気持ち・・・
細かく想像を膨らませてその状況の主人公のように入り込むのがコツでしょうか。
真剣に書いていてはずかしくなってきたのでここらで止めておきます。
正確に言うと
おいしくないのはそのままで、おいしいの基準が変わる感じです。
パッサパサでちょっと化学の味もするけど、一時的に幻の有り難さで自分を騙すのです。
焼きたてパン屋さんのパンばかり食べたいものですが、現実にはそうはいきませんので
私が子供の頃より培って参りました、
“最後のパン” 試してみてはいかがですか。
※私は小麦粉味のパンをそのまま食べる事がもとより好きな人間です。
※ご存知だとは思いますがレンジでチンするか、トーストした方が確実に美味しいです。